その8


セント・ベルナルデュスのセールス・エクスポートマネージャーの
マルコから電話が来る。
「遅れてすまない、ホテルの前に着いたよ!」

心を弾ませながら、彼と合流。まず固い握手。
もう昼の二時?を回っており、山下の勉強のためにも
セント・ベルナルデュスを生み出す元となった
「ウェストフレテレン」を醸造する
「セント・シクステュス修道院」へ、そしてセント・ベルナルデュスの醸造所をと思っていたが、時間的に無理では?と考えた。
その後、偶然、彼が住んでいる町にデ・ランケの醸造所の事務所があるため、そこへ彼が連れていってくれる事になっていたからだ。
要は、夕方からデ・ランケ醸造所との交渉が控えていた。

時間的にどうかな?とマルコに尋ねたが、
彼は「問題ない、亮平が行きたい所へ連れていくよ!!!」

さすが、イタリアとベルギーのハーフ。ノリノリである。


マルコの車。ワンポイントなのがいい。

もう、座りながら交渉する時間はないので、車で話を始める。
私は助手席。
ベルギービールの日本での状況から説明し、世間話まで。
いきなり、うれしい一言をもらった。
「日本でこんなに僕らのビールを愛してくれている君らに輸出できて幸せだよ。正直、うちのビールを愛してる人以外には売りたくないんだよ。」
めちゃくちゃうれしい。ほんとにめちゃくちゃうれしい。
六本木のお店にいらっしゃる方は知っていると思うが、
僕のセント・ベルナルデュスびいきははげしいのだ。
六本木のタップハンドルはいつも全部セント・ベルナルデュスになっているくらい。

こんな車が停まっていた。

まず、彼の仕事のついででデザイナーさん?の家につき、一緒にアブトのラベルの濃さをどれがいい?って聞かれながら色を確かめる。色んな青にアブトがならぶ。


ほ、ほしい。。。。

昨日は雪が降ってかなりつもっていたらしい。
マルコは道路でスリップして他の車と「Little Kiss」しちゃったよと言っていた。笑ってたけど。。

セント・ベルナルデュスやウェストフレテレン等の醸造所、修道院は
ベルギー1のホップ生産地であるワトウ・ポペリンゲ一帯にある。
この写真の木の柵の所でホップが育つわけだ。

車の中で音楽をかけていたが、いつもうちのかけるフレンチポップが流れ始めた。「これうちの店でもかけてるよ」というとマルコも喜ぶ。

マルコとのいきもばっちり。

途中で一つ質問した。
「セント・ベルナルデュスの坊さんって昔、帽子かぶってたでしょ?
どうして帽子とったの?」
と聞くと彼は言った。
「元々、セント・ベルナルデュスはウェストフレテレンを醸造している修道士達によって生まれたのは知ってるだろ?名前もその修道院の名前を借りていた。だから、彼は修道士だったんだ。だけどライセンスが終わってしまって彼は、ビジネスマンになったんだよ。だから帽子はいらなくなったんだ。」

僕らは車の中で大笑いした。こんな感じで車の中では笑いがたえない。

ウエストフレテレンの醸造責任者と会ったことあるの?と聞かれたので
ないよと答えると彼はとある紙を取り出してみせてくれた。
ウエストフレテレンの醸造関係の修道士達と年に1、2会、醸造等の意見交換で食事会があるらしい。修道院からの案内文だ。

マルコの仕事がうらやましくなった。
ウエストフレテレンの修道士達とビールについて語り、
さらにホワイトビールの父、ピエール・セリスさんと月に一回は会って話すのだから。。。

突然、山下の方へ向いて「店の女の子にフランスに行ったら、自慢できるでしょ」といいながら、店に行くよといいだした。


「亮平。左がフランス、右がベルギーだよ。この道はどっちだろ?」
私「どっちなの?」
マルコ「たぶんベルギー。」

そこで写真にあるカーナビを見た。
すると、圏外になって何もない所を走っている!!小国ベルギーだけのカーナビってあるの?
という疑問にくわえ、しかも日常生活範囲から数キロで使えなくなるカーナビ使っても意味ないでしょ。と内心思う(笑)

もう今は使われていない国境の検問所を越え、店にたどりついた。
樽生をいただきながらここでも世間話。


2人とも行儀よくいただく

店を出て醸造所へ。
醸造所までの道はTrappistenweg「トラピストの道」
いかに「セント・ベルナルデュス」とウェストフレテレンの「セント・シクステュス修道院の繋がりが深いかがわかる。

醸造所へ到着した!!