その5

今回9/23,24,25に開催させていただく事になった一関地ビールフェスティバルですが、どのような過程で開催させていただく事になったのか順次紹介して行きたいと思います。
一関地ビールフェスティバルのホームページにも書きましたが、地震後日本全体のメンタリティーが変化し、私自身も私達の存在意義について深く考えさせられました。

実際に横浜みなとビアガーデンの三浦は出身が岩手県大槌町であり、町長が津波によって流されてしまった所でもあります。彼の弟はその町役場の職員です。
震災後、連絡が取れない間はなんとも言えない不安感に彼自身襲われ、私自身も何と声をかければよいのかわからなかった。実際私の父親も一関、平泉で生まれ育ち親戚もそこに暮らしています。
その中でボランティアなも素敵な素晴らしい事と思いますが、ビール屋はビールで恩返ししたいと感じていました。それがどのような方法を取れるのか、ただ偽善的にこちらで行っても仕方ない。東北の人達と一緒に行ってこその想いを共にした恩返しだと考えていたのです。

今回のイベントを同時に行う格之進の千葉さん(ツイッター: @)とはすしさいしょさん(ツイッター: @)でのすしと和牛とベルギービールのコラボイベントにてお会いしました。
最初は千葉さんお酒が飲めないのでという話を聞いてお互いにあまり仲良くなれないのかななんて思っていたのですが、千葉さんが9/25牛の一頭買いをバーベキューでやりたいと話していらっしゃったのでうちの横浜みなとビアガーデンを使ってみてはという話から、そのイベント後に千葉さんに食事に誘われ、将来の私の事業のプランについて熱く話をした所、すぐに意気投合となりました。
そこで私が9/23-25に元々東北への恩返しに地ビールのフェスティバルを行いたいので一関の地ビールフェスティバルを行ってその中の一つのイベントとして格之進さんのイベントを行ってみてはと提案した所、千葉さんは主催者のいわて蔵地ビール(世嬉の一酒造)の佐藤航(わたる)さんにすぐ連絡をつないでくれました。やはりいきなり一関の地ビールフェスティバルを横浜でといってもよくわからないだろうと思い、すぐに一関に行く事を決心。古城戸を連れていく事にしました。すると事務所にいたうちの金久保がその週末にある一関の地ビールフェスティバルにかけつけるという事で、それだったら勉強がてらビアフェスだけでなく3人でいわて蔵ビールへと向かう事になったわけです。格之進の千葉さんと出会って10日もたたずに一関ビアフェスティバルを横浜で行える可能性が出てきました。やはり口に出して言ってみるものだ。

次回は、私、古城戸、金久保の3人で向かった一関へ。

一関地ビールフェスティバルの概要についてはこちらのリンクへ

チケット販売は下記をクリックして下さい↓