社長ブログ

昨日はパーティーにご参加いただきありがとうございました。

本日3/28(木)は最後の日本滞在の夜ですので豊洲→池袋→六本木と回りたいと考えてます。

ジェフはポール・ヴァンスティーンベルグの甥に当たります。
彼の母の兄がポールであり、彼の母の妹はバヴィック醸造所へ嫁いだためバヴィック醸造所とも非常に近い血縁となります。

同時にシリー醸造所とも血縁関係であり、シリー醸造所の昨年来日したリオネルとジェフも親戚です。

ちなみにシリー醸造所はヴェルハーゲ醸造所ともデュベルに買収される前のデ・コーニンク醸造所とも親戚であります。

さてそのヴァン・スティーンベルグ醸造所の歴史は1784年まで遡る事が出来ます。

ヴァン・スティーンベルグ醸造所の歴史

1784年、ジョン・バプティスト・デ・ブラインが彼の農場の隣に醸造所を建てて、デ・ぺールと名付けた。ジョンはアンジェリーナと結婚していたが、2人の間には子供がいなかった。幸い、アンジェリーナの甥、ジョゼフ(ヨゼフ)がビール製造の技術を学んだ。だからアンジェリーナが92才で死んだとき、ジョゼフにデ・ぺール醸造所を託した。

ビール製造に必要なものを供給するために、ジョセフは2ヘクタールのホップ畑、小屋麦芽や大麦麦芽の小屋を造った。彼は良い作り手であっただけでなく、優秀なビジネスマンでもあった。彼のドライアードビールはゲント全体で飲まれ、当時街で最も人気のあったカフェd’Helleにも配達できるほどだった。しかし、このビールはあまりに粘りがありすぎるために人気が長く続かなかった。

ジョセフにはマルグリートという娘がいた。彼女は、ゲントのセント・リーベンス醸造学校の微生物学とゲント大学農学部の教授となったポール・ヴァン・スティーンベルグという化学技術者と結婚した。第1次世界大戦が勃発した時、ポールは30才で、1914年8月2日に召集され、アントワープで一生を過ごす事になった。8月末、2万人の兵士と共に彼はオランダの国境を越えた。ポールは抑留されていたが、幸運にもデルフトの技術大学の微生物研究所で戦争中を過ごす事ができた。そこで彼はルイス・パスツールの教え子である教授と働いた。

ジョセフが1922年に亡くなった時、ポールはビジネスを引き継ぐのに十分な知識を得ていた。職人的なブルワリーの中で、ポールは最新の技術を試みた。しかし彼は同時にエルトベルデの市長になっていたので、妻のおかげでブルワリーが存続していたようなものだった。結局、彼は政治家になった。1929年から1945年まで彼は東フランダース地方の代表議員で、後に知事となった。

彼が醸造所にあまりいなかったことは明らかだったが、ブルワリーの名前をビオスと変えて乳酸発酵の力を借り、レッドビールというジャンルでビール製造に成功した。その名前はブルワリーの名前にもなった。ビオスは2年間寝かせた若いビールで、ビオス・ブラームス・ブルゴーニュとしてかなり広まった。

1920年代末、テイストの傾向の変化と宣伝のおかげで、低発酵のビールはルート・ボックというビールになり、すぐその名前はスパルタ・ピルスとなった。上面発酵から下面発酵への変更は費用がかかるが、ビオスの売り上げの拡大によって得られた収入により可能となった。ブルワリーは新たな場所や新たな酵母、歴史のあるセラーを吸収して大きくなっていった。

ポールの息子、ジョセフは法律を学んだが、言うまでもなく結局ブルワリーになった。1962年父親が亡くなった後、ビジネスを引き継いだ。ジョセフの指揮の元、上面発酵ビールは下面発酵ビールと一緒にまた醸造されるようになった。それは新しいビールのトレンドを先取りした形となった。

ここでの醸造は,ウォメルへムという町のベイレンスブルワリーが経営不振のために廃業した後、さらに大きくなったと言える。1980年以来、2つの修道院ビールを造り続けて、売り上げは順調であった。それだけではなく、アウグスティン修道士達がエルトベルデに来たことによって、1982年に生まれたアウグスティンは、アルコール度数8%の瓶の中で2次発酵させたビール。瓶の中の2次発酵の秘密は使用されている酵母だといつも言われているが、実際そうなのだ。この味わいはズウィンジーにも引き継がれている。

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今日ジョゼフの息子で、ポール・ヴァン・スティーンベルグの孫、ポール・ヴァン・スティーンベルグ2世が醸造所のトップであるが、すでに彼は1978年に家業に参加して、1985に父親からマネージメントを受け継いだ。最近はすでに彼の甥であるジェフがマネジメントを引きついでいる。過去10年間、1000万ユーロ以上がこの醸造所に投資され、従業員数は倍となった。マイクロブルワリーの中では初めてのコンピューター制御の醸造所が1993年に建てられ、1995年に生物学的にも化学的にも最高に水を浄化する事ができる浄化装置が導入された。1997年には蒸気ボイラーが加えられ、2000年には新しい機械と瓶詰めの工場ができた。

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ポール・ヴァン・スティーンベルグの甥であるジェフが経営参画した。彼は世界遺産でもあるゲントの鐘楼の上にそびえる黄金のドラゴン(グーデン・ドラーク)がラベルの「グーデン・ドラーク」や「ピラート」等の高いアルコールのビールを世界に誇れるビールとして世界に紹介している。