その8


カール・ヴェルハーゲ氏とゲントで感動の対面。
10時半過ぎにまず、私と山下は彼の車に乗り、醸造所へ出発。
と、思いきや
まず、「うちのドゥシャス・ド・ブルゴーニュの樽を出している店が近所にあるから
連れて行くよ。」
との言葉にさっそく興奮。
すぐにそのビアカフェに到着。
ドゥシャス・ド・ブルゴーニュ樽生と対面する事となった。
飲むのは久しぶりである。正直、ベルギーでもなかなか飲めない代物なので、、
乾杯しながら日本のベルギービール事情等、様々な事について話をし始めるが、
「ドゥシャス・ド・ブルゴーニュ樽」を飲み終え、私達の輸入している「エヒテ・クリーク」を飲む、味わいは日本に輸入している物とまったく変わらない。安心した。

すると、すぐに「エヒテ・クリークについてどう思う?」とカールに質問された、
私はすぐに
「エヒテ・クリークは正直、万人にうけるビールではない、しかし、レッドビールに本物のフルーツを加え、そのままの味わいを生かして香料やジュースやピューレ等を加えない本物のフルーツ・レッドビールはもうこのビールくらいではないかと思います、私はこのビールのすばらしい味わいがわかっているつもりだし、このビールを日本の人達にぜひ伝えたいと思っているし、絶対になくなって欲しくないと思っています。だからこそ樽生も輸入をお願いしました。」
私がそう答えるとカールはすごく嬉しそうな顔をしてうなずいてくれた。

正直、私がベルギービールを愛しているのをまだ会って数十分だが、すぐに理解してくれたようだ。話がはずむ。
小さな醸造所だからこそ、うちのビールはビールを愛している人達に売りたいという気持ちが伝わってくる。私は一輸入者である前に一ビールファン。逆に私もそれが醸造家達にわかって欲しかった。

30分程?もっとだろうか、4杯程ビールを平らげ、(もちろんヴェルハーゲ醸造所のビール)
ヴェルハーゲ醸造所へ向かう。

30分程、車を走らせヴェルハーゲ醸造所が近づいた頃、カールが「そろそろお昼だから昼飯を食べよう」といい、車を止めた。小さな町でどんなレストランに連れていってくれるのだろう?と心がはずむ。ベルギーでは醸造所の方に連れて行ってもらうレストランが一番すばらしい。ブリュッセルの町のレストランよりも田舎の小さな町のカジュアルなレストランが一番だ。ベルギーが美食の国と言われるのが一番わかる。日本の田舎(自分の田舎が基準ですが、)にはレストランなんて普通無い。大衆居酒屋くらいだと思われる。この町の人口は数万人なんですから驚きです。

そんな事を考えながら、公園のような場所の前に車を止め、中に入ると一軒家がぽつりとたたずんでいる。まさかこの建物ですか??

そのようです。いやーこんな所でゆっくり暮らしたいなと思う。

中はこんな感じ。スーツ姿の方達はすぐ近くで働いているようには見えないが

ヴェルハーゲ醸造所のヴェルハーゲ・ピルスと共に。この他、彼らのビールを
これまた4杯程飲む。これが前菜。メイン、デザートでお腹いっぱい。。
まだ醸造所にたどりついてないのに。

食事を終え、カールは
彼らが先祖から住んでいるお屋敷?に連れていってくれた。
これが私はすごくうれしかった。醸造所の歴史まで丁寧に教えてくれる。これはマイクロブルワリーならではだと思うから。歴史もビールの味に詰まっているのだし。

彼の曾おじいさんはヴィヒテの町の町長であり、
(実は数日前にベルギー大使館であった方は曾おじいさんが同一人物。要はカールとなんと親戚だった!!世の中狭い。)
昔、入口入って右に醸造所があったのだが、第一次世界大戦でイギリス軍に破壊されてしまう。

壁も一部傷つき破損した。

(実はこの日は冷え込み、周りの池には氷がはる)

その後、醸造所を現在の場所に移し、もともと周りの町にビールを卸す程の小さな醸造所だった彼らの醸造するレッドビールは多くの人を魅了し、世界に輸出されるようになっていく。

カールはブリュッセルに住んでおり、現在は彼の親や親戚がここに住んでいるそうだ。
彼はもともと、ベルギーの大使館で働いており、仕事柄フランス等にも住んでいたそうで、5カ国が話せるという。うらやましい限りだ。

案内が終わり、とうとうヴェルハーゲ醸造所へ。

事務所に一人の女性がいた。
今日の朝、電話に出ていただいた方ですか?と聞くと
「そうよ。」というので
私は「ほんとにありがとうございます。」とご挨拶。

すでに話す事はかなり話した状態だったが、
まず試飲しながら話そうという事になった。
まあ、すでに十分すぎる程の試飲してのではと皆さん思われると思うが、
「その通り」
いくつか飲んでないビールもあったので、という言い訳をさせて欲しい、、

細かい話とビール一つ一つについての細かい話をする。
朝に飲んだドゥシャス・ド・ブルゴーニュ樽生についても質問する。
「日本であれを飲めないのは悲しいので輸入はできませんか?
というか、私が日本で飲みたいです。」
とも聞いてみた。
返事は、、内緒です。ってもったいぶってるわけではないですよ。
海外の人と日本の人の大きな違いは何でも自分から聞いてみる事。日本人は最初から無理だとか向こうに失礼とか考えすぎだと思うからだ。私もなんの遠慮もなしに何でも聞く事にしている。

交渉も終わり、醸造所の中を山下と回る。
この醸造所はピルスナーやアンバーエール等も醸造しているが、
世界に知られる事になったのは、オーク樽で寝かせるレッドビールだ。

アメリカ等を中心に輸出が伸びているため、現在、となりの敷地に醸造所を増床中のようだ。
オーク樽で寝かせる年代の違うビールをブレンドする事により、
ドゥシャスやヴィクトナール、ケイブスやクー・デ・シャルル・ブラウン等の様々なレッドビールが誕生する。
その違いはベル・オーブにてぜひお試しを。

オーク樽で寝かせている間は上面発酵のため、部屋の中は25度前後となっており、部屋に入った瞬間、カメラのレンズは真っ白に曇る事となる。

フレミッシュ・ブラウンエールやこのようなフレミッシュレッドビールはグーズと同じく文化遺産として残されるべきものだと思う。
それを少しでもこれからお手伝いできる事は自分にとっても本当の幸せだ。

醸造所を周り終わる時に、
「最後にもう少し飲んで行くかい?」
と聞かれ、私は「もちろんです」とまた先程の場所で飲み始めた。
この日は朝からいったい何杯飲んだのだろうか?
自分でもわからない。

最後に山下に2人の写真を撮ってもらう。

そして、ブルージュに向かう私達を車で最後まで送ってくれた。

そんなこのブログを書いている本日月曜は「ヴィクトナール樽生」と「クー・デ・シャルル・ブラウン樽生」の提供が六本木で開始される日でなにげに嬉しく感じる。