その5

さて今日はデリリウムカフェ トーキョーにてウエストフレテレン アブトと日本初登場セント・ベルナルデュス ペーター樽生という事で

セント・ベルナルデュス醸造所の歴史を説明して今回の旅行記の最初に戻って紹介していく。
旅行記はデ・ランケ醸造所からスタートしますのでセント・ベルナルデュス醸造所まで時間がかかります。
長いですが、しばしお付き合いを。というわけでまずは醸造所の歴史から。

セント・ベルナルデュス醸造所の歴史
2つの修道院を源流とした醸造所

西フランダースの一番端にワトゥという西フランダースのホップの中心地があり、ビール愛好家達が夢見るビールが作られている。醸造所は現在ホップの生産も開始し、あたりのホップ畑に加えて自分たちのホップ畑が醸造所横に広がっている。下記の写真がそうだ。6月末の状況。

このおとぎ話のような村、ワトゥでは時間がほかの場所よりあきらかにゆっくり流れている。そこでの暮らしは他とは全く違って、静かで、人々は自然と共に生き、まるで時間に逆らうように、伝統と価値が重要視されている。醸造所もそのひとつだ。
20世紀初めの教会に反抗する政治のため、北部フランスにあったキャッツベルグ修道院協会は、フランスから数キロしか離れていないベルギーの小さな村、ワトゥに一部が移る事に決めた。彼等は農場を「Refuge Notre Dame de St.
Bernard」に変えて、修道院チーズの製造場所にした。その売り上げで、修道院の活動を経済的に支えていた。
30年代初め、フランスの教会への態度が良好になり、1934年キャッツベルグ修道院協会はベルギーの建物を処理して、すべての活動をフランスに戻す事に決めた。
キャッツベルグ修道院
現在のキャッツベルグ修道院

エヴァリスト・デコーニンク氏はチーズ工場を受け取り、ワトゥにある「トラピストの道」と呼ばれる場所で最初のビルを建てた。そこではチーズがさらに発達
し、商業的にも成り立っていた。この最初のビルは後に個人宅へと改装されビール愛好家を迎え入れているが、今でもリビングルームにチーズ工場の跡が見られる。そして今は多くのビール愛好家がここでセント・ベルナルデュスのビールを楽しみ、朝を迎える事ができる。

第2次世界大戦直後、トラピストの僧侶、St. Sixtusセント・シクステュスは現在世界一のビールとも言われる彼等のビール「ウエストフレテレン」を売る事を止めると決めた。

取り決めは次のようなものだった。トラピスト修道院の中では、修道院内で消費する分だけのビールを作り、修道院の入り口と、修道院に関係しているいくつかの
宿泊所だけで一般の人に売る。一方、デコーニンク氏は許可を得て1946年よりトラピストビールを製造して売ることにした。ビールの元となる水はジャン・
ヌ・ダルクの時代からもたらされた地下水が150メートルもの醸造所の地下より採取されている。

チーズ工場の隣に新しいブルワリーが建て
られ、ウエストフレテレンの醸造長(修道士)(彼は知識も造詣も深かった。)の助けを借りて、デコーニンク氏はセント・シクステュスのビールを製造しはじめた。もちろんこのビールはウエストフレテレンに勝るとも劣らないという味わいとなった。
60年代の初め、デコーニンク氏の義理の息子クラウス氏がブルワリーに関わりはじめ、ライセンスを更新する交渉をした。1962年にライセンスは30年の期限(1992年まで)で更新された。

1992
年、契約は終了となった。トラピスト修道院は、「Trappistenbierトラピストビール」の品質はトラピスト修道院の中で製造されたビールのみに保証されると決めたからである。1992年以来、ワトゥのTrappistenweg
23(トラピストの道)で製造されたビールは新しいブランド名「St.Bernardus」(ノートルダム・ド・セント・ベルナルデュス修道院に関連している)
で売られている。

世界一のビールと言われる、ウエストフレテレン・アブトに勝る物があるとすれば同じ血筋のセント・ベルナルデュス・アブトが挙げられるだろう。

近年さらにこの醸造所には世界に誇るビールが加わる事となった。ヒューガルデンの生みの親ピエール・セリス氏によってさらに新しい命が込められた。そのビールの名はセント・ベルナルデュス・ホワイト。彼がヒューガルデン、そしてセリス・ホワイトに続いて醸造した最後のホワイトビールである。
そしてグ
ロッテンビア(洞窟のビール) セリス氏は数十年前にシャンパンを寝かせる洞窟を訪れた際に夢をもった。ビールをこのように洞窟にて熟成させたい。その想
いはここで現実となった。ビールの伝道師、マイケル・ジャクソンはこれを世界のベストビール10の1つと賞賛したのである。
セリス

とこれがセント・ベルナルデュス醸造所の歴史。
私が愛してやまないこの醸造所は醸造所だけでなく、その中の人達の人柄によるものも多い。

次回は6月の旅の始まりからセント・ベルナルデュス醸造所へと向かおう。