その5

 門崎牛舎を案内いただいた後、

格之進の千葉さんは一関から気仙沼の復興の状況を見せたいという事で僕らを車で連れていっていただける事となった。
正直なんといえばいいかわからない気持ちだったが、やはりビールで東北地方に恩返しをと言っている以上は現状を知るべき僕らは考えていた。

複雑な心境の中、一関から気仙沼へと続く道を向かっているあたりで千葉さんが
岩手いわい鶏の生産農家が集中している室根(むろね)地域を通っている所で産直の唐揚げ店があり、テイクアウトなのだが、多くの人が唐揚げを求めて並んでいた。
古城戸はうちの中でも唐揚げ好きでも有名であり(古城戸と私の出身である北九州~大分中津あたりは唐揚げがみんな好きで有名。) 本人も非常に美味しそうにいわい鶏の産直唐揚げをほうばっていた。これには千葉さんも古城戸さん今日一番うれしそうですね。と一同終止なごやかな雰囲気であった。

気仙沼は宮城県という事もあり、走る車がだんだん宮城ナンバーが増えて来て色々な事が頭の中に浮かんできた。

そして気仙沼に到着し、次第に被災地の現状を目にすると一同話す言葉が見当たらず静かになった。気仙沼の湾岸はまさに壊滅状態というしかない状態。ほぼ生活は不可能だと誰もが感じた。湾岸手前の家屋が半壊のようなまわりでそれでも人々は暮らし、時には笑顔を見せているのをみて震災から時間を経過しているのを感じた。

家屋の倒壊などはメディアを通じてある程度想像できてはいたのだが、やはり異臭については現地へ行かないとわからないと思う。
そして一番感じた事は、地盤沈下による海水の侵入がこれほどまでに恐ろしいのかと思った事だ。車で走っていても地盤沈下により海水が道路のいたる所に満ち潮で冠水し始めていた。ほぼ海水と地面が同じ高さになっており、これほど海水がせまって来る事に圧迫感を感じ恐怖心を感じた事は正直なかった。この海水が津波で迫ってくる時の恐怖などはもう想像さえできない。正直観光客のようにただ写真を撮る気にもなれず、数枚の写真と海水の冠水の状況をおさめたくらいだった。

この状況を見て一番に感じた事は、
募金や被災地支援は形を変えても長期に渡って継続して行かなければ意味がない。
こちらで開催する一関地ビールフェスティバルを長い間に渡って続けて行く事が私達にできる一番の現地への恩返しになる。
僕ら3人は小さくしかし夢は大きく大事にこの地ビールフェスティバルを行おう。そう強く心に刻み込んだ。